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東京地方裁判所 昭和44年(行ウ)143号 判決 1971年12月24日

原告

東京工業大学職員組合

右代表者

高橋誠

代理人

尾山宏

外二名

被告

右代表者

前尾繁三郎

代理人

島村芳見

外五名

主文

一  被告は原告に対し、金三一、一八二円およびこれに対する昭和四五年四月一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は二分し、その一を原告の、その余を被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

(請求の趣旨)

一  被告は原告に対し、金二七三、八七五円およびこれに対する昭和四五年四月一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は、被告の負担とする。

(答弁)

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

第二  当事者の主張

(請求の原因)

一  当事者

原告は、昭和二一年三月結成され、国立大学である東京工業大学(以下単に大学ということがある。)に勤務する教授、助教授、専任講師、助手、技官、事務官、臨時職員等約七〇〇名の組合員をもつて構成されており、国家公務員法第一〇八条の三により人事院に登録されている職員団体であり、同法第一〇八条の四により法人となる旨を人事院に申し出て、法人となつている。

二  原告の組合事務所の利用状況

大学の本部は、東京都目黒区大岡山二丁目一二番一号にあるが、原告の組合事務所は、昭和三三年六月からは、右本部構内の本館地階の一部屋(広さ約三五平方メートル)におかれていた。

原告の右部屋の組合事務所としての使用は、当時、原告の申出に基づき、学内の最高決議機関である教授総会および学内施設の調整、割当てを審議する部屋割委員会(教授総会により互選された若干名の委員で構成)の審議、承認を経て、その管理権者である学長によつて許可されたものである。

そして、昭和四四年七月一〇日以前、右組合事務所では、専従組合役員一名(書記長)および組合専従の事務員(書記)二名が常時原告の日常事務を処理していたほか、執行委員会、各種専門部会の会議等が連日のように同所で行なわれていた。また、右組合事務所には、原告のための専用電話二本が設置され、組合業務関係帳簿一切が保管されていた。

三  学長事務取扱の違法な行為

東京工業大学においては、昭和四三年五月ごろから、焼失した学生寮の再建をめぐつて、学生と大学当局との間に紛争が生じ、昭和四四年二月に至り、「全学闘争委員会」と称する一部学生は、大学本部の正門等を封鎖して出入りする者の検問を始めた。そのため学年末試験、入学試験は変則的な形で行なわれ、学生の教育は各担当教授による自主講座という形で行なわれていた。

同年七月一〇日午前七時ごろ、大学の加藤六美学長事務取扱(以下単に学長という。)は、警視庁機動隊を大学本部構内に導入した。そして、同日は、大学当局が必要と認める教職員(検問、宿直要員として学長によつて任命された設営委員の教授および本部の一部事務職員)を除き、その他の教職員、学生、大学院生等は入構を拒否され、当時構内にいた者は退去を命ぜられて構外に排除された。大学施設は完全に封鎖され、各門もしやへいされて正門内に検問所が設けられ、以後特に大学当局の許可のない限り教職員等の入構を禁止するという措置がとられた(この七月一〇日以降の大学本部構内への立入り禁止措置を以下本件立入り禁止措置という。)。

学長は、右措置の一環として、七月一〇日、原告に対しても、組合役員ら原告組合関係者は同日午前一一時限り構外に退去すること、同日は学長の許可を受けた者以外の入構を禁止するとの通知をした。そこで、当時組合事務所で執務中の組合役員は構外へ退去し、組合事務所で執務すべく入構しようとした専従組合役員と組合書記およびその他の組合役員は正門前で入構を拒否された。

その後も同月二〇日ごろまでは、学長が入構を許可した教職員の範囲および許可された入構時間は著しく制限され、特に原告の書記長および書記二名の入構が許可されなかつた。同月二〇日ごろからは、一般教職員の構内への立入りが許可されたが、その時間は、同年八月一五日ごろまでは、午前九時から午後四時までと限定されていた。

以上の学長の立入り禁止措置により、原告の組合役員らの組合事務所の利用は不可能となり、その結果そこでの組合事務の処理は、相当の長期にわたり大幅な制約を受け、また組合の日常活動に重大な支障を生じた。

被告の公権力の行使に当たる公務員である学長は、その職務を行なうについて、原告の組合事務所の利用を妨害し、かつその団結権の行使を違法に侵害したのである。<後略>

(答弁)

(一、二省略)

三 同第三項の事実のうち、東京工業大学における紛争の経過、昭和四四年七月一〇日に学長が原告主張のような立入り禁止の措置をとつたことは認めるが、その後一般教職員の入構を許可するようになつた日および時間ならびに原告の組合事務所の利用について大幅な制約、支障があつたとの事実は否認する。

学長が立入りを認めた教職員等の範囲およびその時間は次のとおりであり、七月一〇日の立入り禁止措置後、順次立入りを認める範囲を拡大した。そして、これら立入りの許可に当つては、当該職員が組合員か否かによつて全く差別していないし、入構した組合員が、組合事務所を利用したり、組合業務を行なうこと等については一切干渉していない。

七月一一日(金) 教授で助教授全員(午前九時から午後零時まで)

七月一二日(土) 同右

七月一四日(月) 教授全員、助手の半数(原則として午後零時まで)

七月一五日(火) 同右

七月一六日(水) 助手の全員(同右)

七月一七日(木) 全教職員(午前九時から午後零時まで)

労働金庫に対する返済等のため組合事務所に行く必要のある教職員と組合書記については、特に午後四時まで。

七月一八日(金) 全教職員(午前九時から午後四時まで)

以上の時間後でも特別の事情のある者は居残りを認める。

組合書記については、教職員に準じて入構許可証を交付し、入構時間も同様とする。

入構を認められた時間内における組合活動は平常どおり認める。

許可証所持者以外の者は、その都度特別入構許可証の交付を受けて入構する。

七月一九日(土) 全教職員(午前九時から午後零時まで)

七日二一日(月) 全教職員で博士課程大学院生、研究生(午前九時から午後四時まで)

七月二二日(火) 同右(午前九時から午後五時まで)

七月二三日(水) 同右(同右)

七月二四日(木) 全教職員、全大学院生、研究生(同右)

昭和四四年七月二三日以降は、右のとおり全教職員等について、一定の在構時間(午前九時から午後五時まで、なお同年八月一五日以降は午後六時三〇分まで延長)は在構について特段の許可を要しないこととし、その旨学内に周知させたから、七月二三日以降は教職員等の入構については平常にもどつたということができる。さらに原告の役員、書記が組合事務所を組合活動のため使用する場合については、特に午後五時以降でも届出をして居残ることを認めることとし、その旨を大学職員から同年七月二三、二四日の二回にわたつて原告に通知した。

なお入構制限期間中であつても、組合事務所の利用や組合活動に関しては、大学当局としても、できる限りその便宜を図るようにしていた。現に昭和四四年七月一〇日午後三時ごろ副委員長が組合事務所から組合員名簿を搬出するために、同月一二日午後二時ごろ書記ほか一名が組合事務所から謄写版等を搬出するために、同月一四日午前一〇時五〇分から午後零時までの間書記が構内における組合事務連絡の用務のために、同月一五日午後四時ごろ書記長が組合事務所から共済組合員証、カッター等を搬出するために、それぞれ立入り許可を求めてきたので、いずれもこれを認めているのである。(後略)

理由

一  請求の原因第一項の事実(原告の職員団体としての性格等)、同第二項の事実(原告がその主張の場所を組合事務所として使用するに至つた時期と具体的手続およびその使用の法律的性質はともかくとして遅くとも昭和三五年ごろから学長が原告に対して右の場所をその組合事務所として使用することを承認していたことおよび昭和四四年七月一〇日当時原告が組合事務所を原告主張のような状況で使用していたこと)および東京工業大学における紛争の経過と学長が昭和四四年七月一〇以降原告主張のような立入り禁止措置をとつたこと(ただし、同年七月一一日以降の立入り禁止措置の推移の詳細な内容は、後記認定のとおりである。)は、いずれも当事者間に争いがない。

民法は、不法行為成立の客観的要件として権利侵害を掲げているが、この権利侵害とは、違法性の徴表に過ぎないというのが民法の通説である。民法上の学説判例の発展に対応して、国家賠償法は、公権力の行使に当たる公務員の加害による損害賠償責任の発生要件として、権利侵害に代えて、違法性を要件性として規定した。したがつて、侵害の対象が明確な権利でなくても、法律上保護に値いする利益が違法に侵害されれば、国家賠償責任が生ずるのである。

右認定の事実によれば、原告は学長の承認に基づき、大学建物の一部を組合事務所として使用しているのである。国立大学の建物は、行政財産であるから、これに借家法の適用のある賃借権を設定できないけれども、行政財産であつても、その使用を許可することができるのであるから(国有財産法第一八条第三項)、学長の原告に対する組合事務所の使用承認は、右規定にいう使用許可と解するほかない。そうすると、この使用許可が無償であることから見れば、これにより少なくとも、原告に対し民法の使用借権類似の私法上の権利が設定されたものと認められるのである。仮に国有財産法第一八条第一項の適用により、これを私法上の権利と解することに難点があるとしても、原告が学長の承認により多年継続して大学建物の一部を使用していることは、法律上保護に値いする利益であることは否定できない。

建物の使用を許可した者が、許可された相手方に対し建物の使用を妨げる行為は、それ自体建物使用という法律上の利益を侵害する行為である。被告は、大学としてはその管理運営上、原告の組合事務所の使用に対し、どのような制限、制約であつても一方的に課することができるのであつて、このような措置は何ら違法ではないと主張する。学長が営造物利用関係に基づき、営造物利用関係の相手方たる学生に対し、大学建物の利用を制限すること、また行政財産の管理権者として、公共用物たる大学施設の自由使用(大学構内の通行の如し。)を制限することは、勿論可能である。しかし原告と大学(法律的には設置者たる国)との間に設定された組合事務所の使用関係は、営造物利用関係でもないし、また自由使用の関係でもない。これが対等当事者間の一種の私法上の権利関係または法律上保護に値いする使用関係であることは、先に説示したとおりである。したがつて、学長は営造物利用関係の相手方でない原告に対し、営造物利用制限の権限をもつて組合事務所の使用を制限できないし、また公物管理権者としての自由使用制限権に基づき組合事務所の使用を禁止できるものでもない。

学長は、公物たる大学施設の管理権を有するから、大学の建物等に損害または危険を及ぼす虞れがある場合は、その損害または危険を除去するために相当な措置を講ずる権能を有する。この措置の必要性と原告の組合事務所使用の権利または法律上の利益を比較考慮して、大学施設の維持または保管のためには、学長のとつた措置以外に適当な方法がないと判断され、したがつてそのためには原告の組合事務所の使用の制限または禁止の結果を招来したことも、やむを得ない状況にあつたと認められる場合は、学長の措置は、いわゆる正当防衛の要件に該当し、違法性を阻却する。いずれにしてもその他何らかの違法性を阻却する事由が認められない限り、本件立入り禁止措置は、違法なものといわなければならない。

二被告の抗弁について

(一)  学生の再占拠、封鎖の虞れについて

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

大学本部構内の一部校舎等を占拠あるいは封鎖していた「全学闘争委員会」と称する一部学生は、昭和四四年七月一〇日の構内への機動隊導入の以前に学内から立ち去つたが、その直後から、「学園奪還、再占拠」を呼号し、ビラを配布して、学生、大学院生で助手、職員に、そのための行動に参加するよう呼びかけていた。

そして、右全学闘争委員会は、同年七月一三日には、東京都立大学において、「学園奪還、再占拠全学総決起集会」と称する会合を開いた。翌七月一四日には、全学闘争委員会と大学院生の組織である「院生闘争委員会」の呼びかけで、「キャンパス奪還闘争」と称して、大学付近の桜山公園に四、五〇〇人の学生が集まり、抗議集会が行なわれ、その後ヘルメットをかぶつた学生数十名を先頭に大学正門に向つてデモ行進に移り、正門付近で待機していた機動隊との衝突があり、一、二名の逮捕者が出た。

同月一七日にも「院生闘争委員会」などが「キャンパス奪還デモ」を呼びかけ、百二、三十人ないし二百人の学生が参加して桜山公園から大学へ向つてデモ行進が行なわれた。同月一九日には大学院自治会主催の、機動隊導入に抗議するためと称する、約百名位が参加したデモ行進が行なわれた。同月二一日には「院生闘争委員会」の学生による「キャンパス奪還デモ」があり、約百五、六十人がこれに参加した。

同月二四日から、全大学院生の入構が認められたが、それ以後は、連日のように、かなりの期間にわたつて学内での抗議デモが続いた。同月二四日には、「加藤体制を打倒せよ」とのスローガンのもとに、「院生闘争委員会」の学生などによる学内集会が行なわれ、同月二九日には、学内で大学院生等七、八十名によつて「キャンパス奪還総決起集会」と「キャンパス奪還デモ」が行なわれ、デモ隊は大学建物内に乱入し、授業などを妨害した。

以上に認定した一部学生の昭和四四年七月一〇日以降の動静によれば、これらの学生が再び校舎等を占拠、封鎖する虞れが全くなかつたとはいい切れないから、大学がこれに対して一部学生の入構を禁止する等それ相応の対策を講ずる必要性はあつたものと思われる。しかしこのことから原告組合の関係者に対する立入り禁止措置の必要性が当然に導き出されるものではない。

すなわち、原告あるいはその役員、組合員が、これらの昭和四四年七月一〇日以前からの一連の学生の行動に共鳴し、あるいはこれらの行動を援助し、またはこれにすすんで参加したことを認めるに足りる証拠は全くないからである。

かえつて<証拠>によれば、東京工業大学における前記紛争に対する原告の基本的立場は第三者的なものであつて、大学側に対しては、紛争解決の手段として機動隊導入をすることは避け、学生の要求に対してはできる限り誠意をもつて話合いをして解決するようにとの意見を述べ、一方学生側の暴力的な行動には批判的態度をとつていたこと、その一例として、昭和四四年三月二三日、一部学生によつて構内の厚生課事務室が封鎖された際、原告の執行委員会は、大学側としては学生との話合いによつて封鎖という事態を回避することができたのであるから、根本的原因として大学側の対処にも多くの問題があるが、一方学生側の封鎖戦術は、一方的に職員から職場を奪うものであつて、誤つているとの見解を発表し、学生側の代表と交渉して今後は厚生課の事務を妨害しない旨の確約をとつたこと、原告は、昭和四四年七月一〇日の機動隊導入には反対の立場をとり、即日大学付近の公園で緊急抗議集会を行ない、同月一五日にも、「機動隊導入反対、加藤執行部総退陣」を叫んで右公園から大学へ向つて抗議のデモ行進を行ない、以後約一か月間にわたつて、種々の抗議行動等を続けたが、この間の原告の活動方針は、「キャンパス奪還デモ」ではなく、大学当局の機動隊導入に反対して、立入り禁止措置を一日も早く解除させること等であつたこと(右七月一五日の集会への参加を呼びかけるビラにも、バリケードを再び築き、学園を奪還し再占拠する方針は、昭和四四年一月以降の誤りをさらに深めるものであるとの記載があり、その方針は、キャンパス奪還を叫ぶ前記一部学生の考え方とは明確に異なつている。)、原告は、同年七月一一日には、学長に対し、原告の執行委員や書記まで退去させたのは違法であり、組合活動を妨害するものであるから、これらの者の入構を認めてもらいたいとの要求書を提出し、同時にこの問題について団体交渉の申入れをしたことが認められる。

これらの事実によれば、原告は、学長との団体交渉という手段によつて立入り禁止措置を解除させようと試みるなど、その方針、行動は、一部学生の思想、行動とは全く異なるのであつて、到底これを同一視し、同一に扱うことができないことは明らかである。しかも、教職員たる原告組合員の立入りを禁止しなければ、一部学生が教職員を装つて構内へ潜入し、封鎖や占拠を敢行することを防止することが技術的に不可能であつたことを認めるに足りる証拠はない。例えば、原告組合員に身分証明書等の提示を要求するなどの方法をとれば、組合員と学生との識別は容易であつたと思われるのであるから、このような方法によつて原告組合員の入構を許すことができたはずである。

したがつて、学生の再占拠の虞れがあつたからといつて原告の役員等の立入りを禁止する以外に他に適切な方法をとり得なかつたということはできない。

(二)  現場検証の必要性について

昭和四四年七月一〇日に警察官による構内の現場検証が行なわれ、その箇所が被告主張のとおりであることは原告において明らかに争わないから、これを自白したものとみなすべきである。

ところで右事実によれば、検証が行なわれたのは構内全般ではなく、特定の建物の部屋である。組合事務所のある本館地階については、検証の箇所は四つの講義室に限られており、組合事務所は含まれていない。組合事務所が検証の対象となつていないのであるから、組合事務所の使用を妨げるような本件立入り禁止措置は、その必要性を認め難いのである。また、組合事務所への立入りを認めることが、他の箇所の検証を実施するについて支障となるような状況にあつたことを認めるに足りる証拠はない(証人慶伊富長は、現場検証をするときは一人もいない方が良いということで、全員排除した旨証言しているが、右判断がどのような根拠に基づくものか明らかではないから、これによつては本件立入り禁止措置の必要性を肯定できない)。構内に教職員がいない方が検証が円滑に行なわれるであろうことは想像できない訳ではないが、原告組合員が検証を妨害する虞れのあつたことは、被告の主張立証しないところであるから、原告組合員に入構と組合事務所の使用を認めたからといつて、検証に支障は生じなかつたと思われる。

したがつて現場検証も、本件立入り禁止措置の正当な理由とはなし難い。

なお、検証が行なわれたのは昭和四四年七月一〇日一日限りであるから、検証を同年七月一一日以降の立入り禁止措置の理由とすることができないことは明らかである。

(三)  大学内の管理権限を直ちに行使できるかどうかの点に関する不安について

前記学生の再占拠の虞れのほかに、具体的にどのような不安があつたのか明らかでないから、これも本件立入り禁止措置の必要性を肯認させる理由とはならない。

(四)  建物の破壊状況の調査と復旧作業について

<証拠>によれば、大学構内においては、各門の閉鎖、外部からの進入口の閉鎖等のための作業が昭和四四年七月一〇日から同月一七日まで、各門のバリケードに学生が使用した物品の講堂への格納および立看板等の構外搬出の作業が七月一〇、一一日の両日に、建物の壁、腰板、窓、天井等の落書きをおとし、貼紙をはがす作業および後始末、清掃の作業が同月一四日から一六日までそれぞれ行なわれ、その間相当数の人夫(一〇日は一五七名、一一日は一三〇名、一二日は二二名、一四日は三二名、一五日は二一名、一六日は一六名、一七日は一一名)が作業に従事したことが認められる。

しかし、原告の組合事務所が右作業の範囲に含まれ、あるいはその間原告組合員、特にその役員、書記の入構を認め、原告の組合事務所を使用させることが右作業の妨げとなるような状況にあつたことを認めるに足りる証拠はない。

<証拠>によれば、清掃等の作業が実施されたのは、講堂、第三新館、第四新館、体育館だけであることが認められるけれども、前認定のとおり、当初は多数の作業員が構内で作業に従事していたのである。そうすると、この時期に多数の教職員の入構を認めることは、作業の遂行に何らかの影響を及ぼすことも考えられないではないが、原告組合員は作業を妨害する意図を有していなかつたのであるから、通常組合事務所を使用する原告の役員および書記だけにでも組合事務所への立入り使用を許可したからといつて、作業の妨害となる程のものとは思われない。

<証拠>(学長の新入生あての「本学紛争経過と現況について」と題する書面)には、昭和四四年七月一〇日には、学生の作つたバりケードの撤去と出入口を閉鎖する工事あるいは学生寮と構内とを分離する工事を実施したが、「これらの措置にともなう混乱をさけるため」特に要請した教職員以外の入構を、やむを得ず一時的に禁止した旨の記載があるが、この記載だけによつては、どのような混乱が予想され、あるいは現実に惹起されたのか明らかでない。

したがつて、この点も原告組合員らに対する立入り禁止措置の正当な理由とはなし難い。

(五)  機動隊導入に反対していた者の入構を認めることは妥当でないとの理由について

前認定のとおり、原告組合は、機動隊導入に反対して、そのために何らかの積極的妨害行為に出たというのではなく、単に反対の意見を表明していたというに過ぎないのである。このような団体の構成員の入構を認めたからといつて、機動隊の活動に対する妨害行為が生じ、ひいては大学の管理、運営あるいは大学施設の保全に何らかの障害をきたす必然性はない。

したがつて、これも本件立入り禁止措置の必要性を肯定させる理由とはならない。

(六) まとめ

以上検討したところによれば、原告の役員等原告組合関係者に対する本件立入り禁止措置は、大学施設の管理権の行使として必要なものは認められないし、また法令に基づく学長の正当な職務行為ともいうことができない。しかも、一部学生の不法行為に対し、大学の施設設備を防衛するためにやむを得ずなした行為でもないから、正当防衛の要件をも充足しない。その他右措置を正当化する事由を見出し難いから、学長の本件立入り禁止措置は、違法性を阻却せず、結局違法な行為といわざるを得ない。

三学長は原告に対し、大学施設の一部を組合事務所として使用することを承認していたのであるから、正当な理由なく、一方的に、これを使用し得ない状態にする行為は、特段の事情がない限り、過失に基づくものというべきである。

四原告の被つた損害について

(一)  仮事務所設置費用および貸席料

<証拠>によれば、原告は、本件立入り禁止措置の結果組合事務所が一時使用できなくなつたので(いつの時点まで使用できなかつたかは後に認定する。)、やむを得ず昭和四四年七月一三日から同年八月一〇日まで、大田区北千束一丁目七番一〇号松本伊和三方の六畳一間を借り受けてここに仮事務所を設置し、その賃料として金一〇、〇〇〇円を支払つたほか、その間の電気代として金三三五円、ガス代として金一九七円をそれぞれ支出し、右部屋の鍵を紛失したためにその修理代金として前記松本に金二、〇〇〇円を支払い。さらに松本に対する謝礼として、三回にわたつて合計金一、〇〇〇円相当の菓子、果物等を贈つたこと、右部屋は組合の闘争委員会等を開催するのには狭過ぎるので(執行委員は約二〇名であるが、闘争委員会には役員以外の組合員も加わつた。)、右委員会等の会場として、北千束自治会の事務所をその都度借りたが、その回数は昭和四四年七月一一日、一二日(二回)、一四日、一五日、一六日、一八日、二五日、二九日の合計九回であり、その貸席料は各回とも金九〇〇円であつたこと、昭和四四年七月一〇日以前は、組合事務所は二四時間その使用が可能であつたが、原告では組合専従者は書記長一人だけであつたため、組合の諸会議は昼休みと夜間に行なわれており、夜間の場合は職員の勤務終了後の午後五時三〇分ないし午後六時ごろから始まるのが常であり、終了時間が午後九時あるいは午後一〇時ごろになることもあつたことが認められる。

ところで<証拠>によれば、東京工業大学の学長は、構内への立入りを認める教職員の範囲および構内に滞留できる時間を被告主張のとおり順次拡大し、昭和四四年七月一七日以降は、全教職員が、一定の時間内は特に許可を得なくとも、構内に滞留することができたことが認められる。また、<証拠>によれば、昭和四四年七月二三日夜、原告が、入構を一般的に許可されていた午後五時以降に構内の組合事務所で会議を開いていたので、大学の庶務部人事課長は、当時入構についての許否の権限を有していた設営委員会の委員長から、原告役員も一般職員と同様、届出をすれば制限時間以後も居残りができる旨の確認を得た上で、居残つていた原告の役員に対し、午後五時以降に居残る場合は、届出をしてもらいたいとの電話連絡をしたが、原告の役員は、組合の掲示板に午後五時以降組合活動を行なう旨掲示してあるから、それが大学当局に対する届出であるとの見解のもとに、大学当局の要求する届出をせず、会議を途中で打ち切つて退出したこと、翌七月二四日にも人事課職員係長から原告の役員に対し電話連絡して、一般の職員と同様、用務、場所、人数、所要時間を届出てもらいたい旨伝えたが、原告側は、責任者である設営委員会から連絡を受けていないから、右の指示には従う必要がないと判断する旨の返事をしたこと、大学当局が右の届出を要求したのは、夜間、学生が構内に侵入して、何らかの違法な行動に出る懸念があつたので、構内のどこに、どのような教職員が居残つているか、把握しておくのがその目的であつたことが認められる。

以上の事実によれば、昭和四四年七月二三日ごろから以降は、原告が大学当局に対し届出をしさえすれば、午後五時以降も(証人小林一三は、届出をして居残る場合にも、時間の制限があつたかのように証言しているが、人事課から原告への前記申入れの際には、特にその旨が付言された形跡はないから、時間を制限する趣旨ではなかつたものと思われる。)、組合事務所を使用できたものと推測され、同年七月二四日には原告の役員もそのことを十分に知つたものというべきところ、原告はそのような届出の義務はないとしてこれに応じなかつたものである。

したがつて、昭和四四年七月二五日以降は、原告の組合事務所は、会議の場所としても利用できる状態になるなど、組合事務所としての機能をほぼ完全に回復したものと推認できる。そうすると右時点以後は、仮事務所の設置、会議のための会場の借受けは、本件立入り禁止措置と相当因果関係がないものといわなければならない。なお、原告に届出義務を課したことは、右に認定したような事情に基づくものであるから、大学施設の管理上合理的必要性ががあつたものというべく、何ら違法ではない。

七月二五日以前においても、昭和四四年七月一七日からは全教職員の入構が許可されているが、前記認定のとおり、原告の会議は主として夜間にしか行なえなかつたのであるから、昼間組合事務所の使用が許されていても、会議を組合事務所で開催することは不可能であり、組合事務所として十全なものといい難く、組合活動の本拠とはなし得なかつたものと推測される。この間組合事務所を他に設置し、会議の場所を借り受けたのは必要やむを得ないことであつたものと認められる。

なお、昭和四四年七月一〇日から同月一五日の間においても、大学当局は原告に対し、被告主張のような便宜を図つたことは<証拠>によつて認められるが、事務所内の物品の搬出等を認められたというに過ぎず、これらの事実をもつて仮の組合事務所の設置等が必要のないものであつたとは到底いえない。

結局、前記認定の原告の支出のうち、昭和四四年七月一三日から同月二四日までの仮事務所の賃料および同月一一日から二四日までの貸席料はやむを得ないものであり、本件立入り禁止措置により通常生ずべき損害というべきであるが、右期間以後のこれらの費用はそうではない。賃貸人に対する謝礼も、社会一般に行なわれていることであるから、その金額が社会通念上相当なものである限り、通常生ずべき損害である。前記謝礼は、賃料額と対比しても、特に不相当な金額とは認められない。

部屋の鍵を紛失したことによる修理代は、特別の事情によつて生じた損害であつて、これを予見しまたは予見し得べきものであつたことを認めるに足りる証拠はない。また電気代、ガス代は、組合事務所が使用できたとしても、当然支出すべき費用であるから、本件立入り禁止措置による損害ではない。

そこで、昭和四四年七月一三日から同年八月一〇日まで二九日間の賃料が金一〇、〇〇〇円であり、この間の謝礼が金一、八〇〇円であるから、同年七月一三日から同月二四日までの一二日間に相当する賃料および謝礼は、日割計算によつて、金四、八八二円となる。また、昭和四四年七月二四日までの貸席料は七回分、金六、三〇〇円である。これらの合計額は金一一、一八二円である。

(二)  電話料金

前記のとおり、組合事務所には二本の専用電話が設置されており、原告はこれを使用できたのである。したがつて、本件立入り禁止措置により臨時加入電話の架設を余儀なくされ、その取付料、工事に関する料金等、組合事務所の電話の使用が継続して可能であつたとすれば支出するはずのない費用を支出したとすれば、この費用は、右措置によつて生じた損害である。しかし、その通話に関する料金を除く使用料金および臨時加入電話からの通話に関する料金等は、組合事務所が使用し得たとしても当然支出すべきものであるから、右措置によつて生じた損害ではない。

<証拠>によれば、原告は前記松本方に、昭和四四年七月一六日臨時加入電話を架設したことおよび合計金一三、六三〇円を自由ケ丘電話局に支払つたことが認められる。しかし、右金額のうちに架設料金が含まれているかどうか、また含まれているとして、右金額のうちいくらが架設料金であるかが証拠上明らかでない。したがつて前説示に照らし、損害と認められる金額を算定することができない。

(三)  たき出し費用

<証拠>によれば、原告は、本件立入禁止措置がとられていた当時、組合員の家族からたき出しをしてもらつたのでその謝礼として金一〇、〇〇〇円を支払い、また、昭和四四年一〇月八日、おにぎり代として金四、〇〇〇円支出していることが認められる。

しかし、組合のどのような行動のために、なぜたき出しが必要となつたのか証拠上明らかでないから、これを本件立入り禁止措置による損害と認めることはできない。

(四)  特別行動費用

<証拠>によれば、原告は、昭和四四年七月一五日から同月二一日までの間に、弁護士事務所等への連絡のためのタクシー代、電車賃等として金七、九一〇円を支出していることが認められる。

しかし、これがどのような内容の連絡であるか、またなぜこのような連絡が必要であつたのか証拠上明確でないから、本件立入り禁止措置による損害と認めるに由ないものである。

(五)  雑費

<証拠>によれば、原告は以上のほか昭和四四年七月一一日から同年八月二〇日までの間に、内容証明郵便等郵便物の料金、電話代、朱肉、紙、電球等の代金、ゼロックスの費用、組合員から借り受けて使用した自動車の修理代などを支出していることが認められる。

しかし、これらのうちには、その事柄の性質上本件立入り禁止措置がなかつたとしても必要であつたと思われるものもある反面、他方では本件立入り禁止措置のために特別にその必要が生じたものであつたとしても、なぜその必要が生じたのかを認めるに足りる証拠がないので、いずれも本件立入り禁止措置による損害であるとは確定することができない。

(六)  名誉侵害による損害

原告は、組合事務所を本拠として、憲法に保障された労働基本権の行使を目的とする団体である。その原告が不法な一部学生と同視されて、被告の設置する大学学長の不法行為によつて、組合事務所から排除されるという結果を招来した。このような本件不法行為の性質からして、原告は、ただに財産上の損害を被つたばかりでなく、名誉すなわちその名声、信用等について社会から受ける客観的評価を侵害されたものというべきである。したがつて、被告は原告に対し、これによつて原告が被つた無形の損害を賠償する責任がある。

そして、本件侵害行為の態様と程度、被害者である原告の構成とその目的、その社会的地位と活動範囲等各般の情況をしんしやくすると、右無形損害は金二〇、〇〇〇円と評価するのが相当である。

(七)  合計額

以上の損害の合計額は金三一、一八二円となる。

五右損害は、被告の公権力の行使に当たる公務員である学長が、その職務を行なうについて原告に与えたものであるから、被告は原告に対し、右金三一、一八二円およびこれに対する不法行為の後である昭和四五年四月一日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

よつて、原告の請求は、右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条本文を適用して主文とおり判決する。

(岩村弘雄 矢崎秀一 飯塚勝)

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